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当時は16歳、高校一年生だった。
懐かしい丸井のラジオ今は札幌だけですよね。懐かし過ぎて鳥肌立ちました。
懐かしくて涙が出ました!幼少期にいつもラヂオから流れてました。札幌を離れ46年間が経ちますが今でもこのBGMが鮮明に耳に焼き付いてます。
昔は全国各地の地方ラジオで、5分程度の百貨店提供番組をやっていた。そして午前10前になると、時報の前に「○○百貨店が、10時をお送りします。」というCMがよく流れていた。それだけデパートの勢いが良かったという事。ああ、あの頃が懐かしい。
懐かしい!子供の頃は祖父と丸井さんに行って屋上の遊具で遊んだり、噴水のベンチでソフトクリーム食べたりした思い出があります😊
これが、昭和の都会のデパートの光景だったよなぁ~(-_-)今はもう…(;´д`)
丸井さんのエレベーターは外が見えて一番下に降りてくると壁が迫ってくる景色が見えるんだよね。それが面白かったなあ。
90年代の丸井手帳はありませんか。パソコンもiPhoneも要らんからこの時代に行ってラジオをずっと聴いていたいと思う。
懐かしい❗1970年代最後の「丸井手帳」!
『手帳』感無し(;´д`)
おなじみのこのBGM、うきうきワクワク、ええ時代でしたなぁ〜😭
懐かしい。この曲。ありがとうございます。
ご視聴ありがとうございます私もずっと懐かしいと思いつつ編集していました
これは!…ズキンと脳に響きますねw 聞いた瞬間に記憶がフラッシュバックしましたw よくぞお持ちでw
函館放送局ではこの時間は棒二森屋提供の「スマイルアワー」に差し替えられていました。
棒二森屋と言えば、「♪B、O、N、Iボーニ❗」というテクノ系のCMソングが印象的に残ってます。
@@桜-m3s 1984年に「ボーニ・アネックス」がオープンした時に導入されました。
青森民です。どおりで聞いたことがないはずだ。終わりが「きょうも、よろしくぅ~♪」って曲、ふと思い出しました。
丸井札幌店がいちばん華やかだった頃、それは"大通本館"がオープンした昭和50年頃だと思います😉その本館の向かいにはマルイマルサ、そして隣にはレコードパレスコーヨーがあったのを覚えています💿百貨店業界が最も華やかな時代でしたね😌ちなみに自分はSTV版を聴いてました。いわゆる「レディースタイム」「9時ですリクエストプラザ」の後の10時前の5分番組でした😉
本館、と言っていたのは一条本館じゃないかな。大通は大通新館と言っていたはずだ。レコードパレスコーヨーで思い出したけど、あの当時はそうご電器もあって、北海道の家電量販店は我が世の春を謳歌していた。だけど青函トンネルができ、コジマ電器やヤマダ電器のような本州資本が参入したことで「北海道価格」で売っていたことが通用しなくなりどちらも潰れてしまった。
@@nanalinn さん そうでした😓
@@nanalinn そう。〝コーヨー〟で知られた光洋無線電機はマツヤ電器に吸収合併され、そうご電器は事実上の廃業。栄枯盛衰とはこれなり。
この曲を聞いたら、丸井今井で買い物をしたくなりますね。今は室蘭には丸井今井はないけど、札幌にはまだあります。その時にはまた買い物をしたいですね。
函館にもあるよ。
40年振り!!聞きたかったー
3:31函館店は市内唯一の百貨店になってしまいましたね…。
大通新館、一条本館、この呼び方が懐かしい。このHBC版、当時は9時25分に放送されていたのでは?平成になってから9時55分(則幸ののり出せワイドの頃からか?土日は9時50分)になったと思います。
しかし一条館がなくなったのもまた寂し…
@@tomohikosatoh8897 一条館なくなったのですか?残念です。
大通館、一条館共に現役ですよ。無くなってるのはマルサ(現:ル・トロワ)と南館です。南館はジュンク堂書店が残ってTKPが新たに入居してます。
これは初めて聴きましたが浮き立つような感じには、日曜朝のキューピーバックグラウンドミュージックに通ずるものを感じます。
まるいのとうまん 鹿児島の山形屋は、金生饅頭で販売してます。
とうまんの自動製造機ずっと見ていても飽きなかったです。
夕方の5時30分閉店。これだよなあ。今は考えられない。函館地区は時々これ聞けたけど、学校休んだ時に聞いたんだよね。懐かしい。。アップありがとうございます!
5時半閉店。大晦日ということもあったのでは?
函館は丸井手帳はSTVで流れていたはずで、函館局のその時間は函館の老舗百貨店「棒二森屋」の提供番組に差し替えられていました。
HBC函館放送局(ラジオ)で函館版を聴いたことがあります。札幌版と違うんですね。はやぶさ55号新青森行
スキーしたくなるようなテーマ曲だった。
お年玉をもらって 丸井さんに行き おもちゃ ミニカーを買いに行った 狸小路3丁目の茶屋碁盤店でプラモ 中川ライター店で ぷらも
トミカ最盛期感大いに仕事してます…
記憶にはないが、1979年12月31日という時期・年代を考えると、この放送をリアルに聞いていたかもしれない。
このOPの音楽!!人間の脳ってすごい不揮発メモリだと実感。
懐かしいです。HBC、STV、AIR-G'3局それぞれ別内容で放送、HBCは地方局でそれぞれ地元版のまるい手帖を放送していました。
ご視聴ありがとうございますAirGversionは今に至るまで聴いたことがありませんでした(am派ですので ww)そのうち、旭川まるい手帳もUPします
この音声は、HBCの札幌本局版の丸井手帳で、ほぼ同じ内容を全道向けに放送していたのが、STV版の丸井手帳ですね。(因みに、AirーG´版は「丸井手帳 札幌タウンタウン」というタイトルで、中身はAM版と同じだったと記憶してます)それから、HBCローカル放送での丸井手帳には、札幌本局版にあったお天気のコーナー(STV版でのお天気メモのページ)はありませんでした。
@@hatatomo AIR-G(当時はFM北海道)は最後は時計台の鐘の音は鳴らさずに、会社のイメージミュージックを流していました。その洗練された構成はさすがFM局だと感心させられました。FM北海道が函館に届いたのは1984年の秋。それまでFM放送はNHKしかなかったので、ステレオ音声のCMには刺激を受けました。もっとも民放FMに渇望していた時間が長かったからこそ日本初のコミュニティFM局を作ろう、という機運は高いものがあった、と言えるのですが。
本当に懐かしいですね
ご視聴ありがとうございます 懐かしく感じていただき何よりです
今の丸井今井のマークは頭文字の「M」をモチーフにしたもので1985年4月から使われたが(ちょうど日を同じにして電電公社がNTT、専売公社がJTとそれぞれ民営化された)、それ以前は「井」を丸囲みしたマークを使っていた。だけど旧マークは今でも使われていて、中央バス大通ターミナルの近くの事務棟には旧マークがデカデカと掲げられている。また包装紙の本当に端のところにも小さく旧マークが印刷されている。たまにその事務棟から案内係の人が出入りするところを見るが、一条館や大通館とはちょっと距離があるため、その間さぞ恥ずかしい思いで歩いていたのだろう。
しかし昭和40年代の〝まるいさん〟といえば、囲みの⭕が心なしか細く見えたのもまた秀逸(新聞広告での話)
なお「クレジットのマルイ(OIOI)」も、旧マークは「井」の丸囲みという…
17時半閉店は、大晦日の特別営業だからでは?いくら1979年でも、通常は19時半ぐらいまでは営業してたはず
80年代に18時まで延長になり80年代中盤に19時閉店となったはずあまり遅くなると出納チームが帰れませんので19時閉店が長く続きました
wikiにはオリジナルのBGMって話が書いてますが、なんとなく元の曲がありそうな気もしますね。詳しい方に質問したいのですがイージーリスニング系の曲はどこで質問していいのか困ってる状態です。
まるい の屋上に飛行灯台があり 夜見上げると飛行灯台の光が家の上にも来ました 当時の住所 札幌市中央区 大通東10丁目 今は水道局の建物になってた
何年位前の事なのでしょうか?
昭和30年頃の記録映像で見たような気が。
HBC札幌本局版とSTV版の締めは、共に時計台の鐘(実際の札幌時計台の鐘とその名もズバリ「時計台の鐘」という曲)ですね。如何にも札幌らしさがある締めというか・・・
HBCラジオは、中継局ごとに違うベリカードを発行していたのですね。あと、丸井今井の営業時間が1730というのは、早すぎる気がします。
昭和過ぎる❗今のアナウンスで「〜くださいませ」みたいな言い方はしないと思う。
室蘭放送局を聞いていた苫小牧では、聞いたことがありませんでした。大切な録音です。
ご視聴ありがとうございます 昭和50年代はじめは室蘭丸井手帳も放送されていたはずです
私も苫小牧でしたが、聞いてましたよ。あー、でも札幌放送局を聞いてたかなぁ。苫小牧だと両方入りますからね。
昭和40年代だと・・・聞いた記憶自体があやふやなのかねしれません。10歳~14歳くらいのときは、ベスト10北海道が流行ってました。ちなみに苫小牧の糸井では、札幌よりも室蘭の方が聞きやすかったです。
正確には「まるい手帖」
一時期はHBCラジオ、STVラジオ、AIR-G'(エフエム北海道)の3局でそれぞれ別内容の同タイトル番組が同時刻に放送されていた。でもそれは道内資本時代の話だった。また局によっては内容が地域で異なったり、番組自体が差し替えられていた場合もあった。放送期間は局ごとで異なったが、3局で同じような番組がそれも同じ時刻に放送されていたということはそれだけ道内で「丸井さん」と呼ばれるぐらい愛されていたかがわかる。その後2回も破綻し、三越伊勢丹ホールディングス傘下で道外資本となり、札幌本店の近隣にある札幌三越と経営統合された今じゃ到底考えられない。というかこんな番組自体が皆無か?
小樽、室蘭、旭川、釧路…道内の主要都市には決まって丸井さんがあったもんですが、いまは札幌と函館のみ… (´;ω;`)
そう、道産子は「丸井さん」ですよね。東京で丸井デパートを見て「丸井さん」って言ったら、友達から変な目で見られました笑。と言いながら、「丸井さん」は実は「今井デパート」ですよね笑。私が育った苫小牧にもできたのに、数年で閉鎖してしまいました…涙。
@@forestomox 東京中野(本店)のマルイは月賦屋だからしゃーない。(緑屋とかもそうだが、やはり「金融業」の匂いがイメージを下げていたのは否めない)
担当は安藤千鶴子アナウンサー、天気予報は菊池玲子(後に渡辺)アナウンサーですね。
安藤アナは90年代にはアナウンス部長になりましたね。その時の部下が松永氏やさとうのりゆき氏がいました
丸井のカードあったね
♪ぐっきりぐっきりぐきぐき
丸井今井があるのは札幌と函館だけ。
三越伊勢丹傘下。
まるいさん の屋上にダンボのメリーゴーランドみたいなやつ のって、大食堂でお子様ランチ なつかしいなー
丸井さんは日の丸ではなく丸井マークの旗と記憶してますが…
営業時間が短いですね。
大晦日で閉店時間を早めたのでは?
丸井が伊勢丹の支援を受け、その伊勢丹が三越と組む事で、札幌の大通公園エリアに於ける強力タッグが生まれた、と思います。
hatatomo「丸井」は東京・神奈川・千葉・埼玉・静岡(後に福島・栃木・群馬から撤退した一方で京阪神と福岡・大分にも拡大)にネットワークを持っている企業で、地元では「0101」のマークでもお馴染みですが、札幌に「丸井今井」が存在したのは知らなかったでした。CI導入以前のロゴマークは○の中に「井」が入ったものですが、「丸井今井」のものは○の中に「井」のマークに「今井」の文字が添えられており、当時から東京・中野の「丸井」とは区別されていました。
@@saskiyoshiaki 様実はその丸井のマークは最初は札幌の丸井今井が元祖です。だから東京の丸井は丸井マークを使いたいがゆえに丸井今井側に使用料を払っていたそうです
@@saskiyoshiaki 丸井(0101)は水戸や京都にもあったが撤退した。
丸井今井と丸井は全く関係ないそうです。丸井今井ほうが歴史が古い
まるい今井 三越札幌 も 伊勢丹ホールディングになってしまった、三越はジャイアンツ優勝セールなくなりました。
ご視聴ありがとうございます私は大の巨人嫌いですので、丸井でファイターズとコンサドーレのセールが行われればそれで満足です www
道内で流れた、ラジオ限定のローカルCMが超懐かしい~❗
丸井今井も伊勢丹ホールディングになりました。三越も伊勢丹ホールディングになりました。
クレジットの丸井「昔は丸井今井より下に見られていたのに、世の中変わったなあ…」
ってか主さん、良く残してましたねぇ。かつての北海道を知る上での貴重な資料ですよっ!これ!!今では全く放送しなくなった【丸井手帳】まで!しかも多分だけど、このコーナーが流れていたのって[ラジオファミリー ハイ!松永俊之です!]の中なのでは??
それって「ラジオファミリー」じゃないですか?9時台が「フィーリング9」、10時台が「ハイ!松永俊之です」という組み合わせ(ちなみに当時は10時45分迄の放送、そこからTBSラジオ経由のラジオドラマ「ファミリーオペラ・しあわせ見つけた」(花王石鹸提供)を経て、道新ニュースから11時のテレフォン人生相談へと繋がっていきました)(ちなみに当時を含め長らく平日の11時台は「ハコ番組」(土曜は今も含めワイド番組の枠内が長かったですが)の時間帯でした(今の「気分上昇ワイド・ナルミッツ!!!」でようやくワイド化されましたが))
@@hatatomo さんあっ…………そうでした。【ドライビング〘パートナー〙·STVホットライン】とごっちゃにしてました(汗)
1条館だねぇ。やっぱりマークは、◯に井じゃあないと、締まらない!
懐かしいですね。90年代の「まるい手帖」も聴きたいですね。どこかにないですかね?
ご視聴ありがとうございます90年代のHBC9時台の録音は残念ながら私も持っていませんただ、女性アナウンサーの口調は明らかに違っているはずですね 70年代は「時代を感じる」ような気がします
ありがとうございます。そうですね。曲調も口調も品格があって、「いかにも高級百貨店」という雰囲気がたまりません。まるいさんはMマークになってから、少し変わった気がします。
大晦日かぁ。小さかったからこの日もワクワクしておだってたな。だって元旦には母方の爺さんがウチに遊びに来てたんだよ。楽しかったな。それと、子供といえばクリスマスが近くなる頃にこれを聞くとワクワクが止まりませんでした!北海道の片田舎でしたから、札幌に行くことなんて無かったけどね。
当時は16歳、高校一年生だった。
懐かしい丸井のラジオ今は札幌だけですよね。懐かし過ぎて鳥肌立ちました。
懐かしくて涙が出ました!
幼少期にいつもラヂオから流れてました。
札幌を離れ46年間が経ちますが今でもこのBGMが鮮明に耳に焼き付いてます。
昔は全国各地の地方ラジオで、5分程度の百貨店提供番組をやっていた。
そして午前10前になると、時報の前に
「○○百貨店が、10時をお送りします。」
というCMがよく流れていた。
それだけデパートの勢いが良かったという事。
ああ、あの頃が懐かしい。
懐かしい!子供の頃は祖父と丸井さんに行って屋上の遊具で遊んだり、噴水のベンチでソフトクリーム食べたりした思い出があります😊
これが、昭和の都会のデパートの光景だったよなぁ~(-_-)
今はもう…(;´д`)
丸井さんのエレベーターは外が見えて一番下に降りてくると壁が迫ってくる景色が見えるんだよね。それが面白かったなあ。
90年代の丸井手帳はありませんか。
パソコンもiPhoneも要らんからこの時代に行ってラジオをずっと聴いていたいと思う。
懐かしい❗1970年代最後の「丸井手帳」!
『手帳』感無し(;´д`)
おなじみのこのBGM、うきうきワクワク、ええ時代でしたなぁ〜😭
懐かしい。この曲。ありがとうございます。
ご視聴ありがとうございます
私もずっと懐かしいと思いつつ編集していました
これは!…ズキンと脳に響きますねw 聞いた瞬間に記憶がフラッシュバックしましたw よくぞお持ちでw
函館放送局ではこの時間は棒二森屋提供の「スマイルアワー」に差し替えられていました。
棒二森屋と言えば、「♪B、O、N、Iボーニ❗」というテクノ系のCMソングが印象的に残ってます。
@@桜-m3s 1984年に「ボーニ・アネックス」がオープンした時に導入されました。
青森民です。どおりで聞いたことがないはずだ。
終わりが「きょうも、よろしくぅ~♪」って曲、
ふと思い出しました。
丸井札幌店がいちばん華やかだった頃、それは"大通本館"がオープンした昭和50年頃だと思います😉その本館の向かいにはマルイマルサ、そして隣にはレコードパレスコーヨーがあったのを覚えています💿百貨店業界が最も華やかな時代でしたね😌
ちなみに自分はSTV版を聴いてました。いわゆる「レディースタイム」「9時ですリクエストプラザ」の後の10時前の5分番組でした😉
本館、と言っていたのは一条本館じゃないかな。大通は大通新館と言っていたはずだ。
レコードパレスコーヨーで思い出したけど、あの当時はそうご電器もあって、北海道の家電量販店は我が世の春を謳歌していた。だけど青函トンネルができ、コジマ電器やヤマダ電器のような本州資本が参入したことで「北海道価格」で売っていたことが通用しなくなりどちらも潰れてしまった。
@@nanalinn さん そうでした😓
@@nanalinn そう。〝コーヨー〟で知られた光洋無線電機はマツヤ電器に吸収合併され、そうご電器は事実上の廃業。栄枯盛衰とはこれなり。
この曲を聞いたら、丸井今井で買い物をしたくなりますね。今は室蘭には丸井今井はないけど、札幌にはまだあります。その時にはまた買い物をしたいですね。
函館にもあるよ。
40年振り!!聞きたかったー
3:31函館店は市内唯一の百貨店になってしまいましたね…。
大通新館、一条本館、この呼び方が懐かしい。
このHBC版、当時は9時25分に放送されていたのでは?
平成になってから9時55分(則幸ののり出せワイドの頃からか?
土日は9時50分)になったと思います。
しかし一条館がなくなったのもまた寂し…
@@tomohikosatoh8897 一条館なくなったのですか?残念です。
大通館、一条館共に現役ですよ。
無くなってるのはマルサ(現:ル・トロワ)と南館です。
南館はジュンク堂書店が残ってTKPが新たに入居してます。
これは初めて聴きましたが浮き立つような感じには、日曜朝のキューピーバックグラウンドミュージックに通ずるものを感じます。
まるいのとうまん 鹿児島の山形屋は、金生饅頭で販売してます。
とうまんの自動製造機ずっと見ていても飽きなかったです。
夕方の5時30分閉店。これだよなあ。今は考えられない。函館地区は時々これ聞けたけど、学校休んだ時に聞いたんだよね。懐かしい。。アップありがとうございます!
5時半閉店。大晦日ということもあったのでは?
函館は丸井手帳はSTVで流れていたはずで、函館局のその時間は函館の老舗百貨店「棒二森屋」の提供番組に差し替えられていました。
HBC函館放送局(ラジオ)で函館版を聴いたことがあります。札幌版と違うんですね。
はやぶさ55号新青森行
スキーしたくなるようなテーマ曲だった。
お年玉をもらって 丸井さんに行き おもちゃ ミニカーを買いに行った 狸小路3丁目の茶屋碁盤店でプラモ 中川ライター店で ぷらも
トミカ最盛期感大いに仕事してます…
記憶にはないが、1979年12月31日という時期・年代を考えると、この放送をリアルに聞いていたかもしれない。
このOPの音楽!!人間の脳ってすごい不揮発メモリだと実感。
懐かしいです。HBC、STV、AIR-G'3局それぞれ別内容で放送、HBCは地方局でそれぞれ地元版のまるい手帖を放送していました。
ご視聴ありがとうございます
AirGversionは今に至るまで聴いたことがありませんでした(am派ですので ww)
そのうち、旭川まるい手帳もUPします
この音声は、HBCの札幌本局版の丸井手帳で、ほぼ同じ内容を全道向けに放送していたのが、STV版の丸井手帳ですね。
(因みに、AirーG´版は「丸井手帳 札幌タウンタウン」というタイトルで、中身はAM版と同じだったと記憶してます)
それから、HBCローカル放送での丸井手帳には、札幌本局版にあったお天気のコーナー(STV版でのお天気メモのページ)はありませんでした。
@@hatatomo AIR-G(当時はFM北海道)は最後は時計台の鐘の音は鳴らさずに、会社のイメージミュージックを流していました。その洗練された構成はさすがFM局だと感心させられました。FM北海道が函館に届いたのは1984年の秋。それまでFM放送はNHKしかなかったので、ステレオ音声のCMには刺激を受けました。もっとも民放FMに渇望していた時間が長かったからこそ日本初のコミュニティFM局を作ろう、という機運は高いものがあった、と言えるのですが。
本当に懐かしいですね
ご視聴ありがとうございます 懐かしく感じていただき何よりです
今の丸井今井のマークは頭文字の「M」をモチーフにしたもので1985年4月から使われたが(ちょうど日を同じにして電電公社がNTT、専売公社がJTとそれぞれ民営化された)、それ以前は「井」を丸囲みしたマークを使っていた。だけど旧マークは今でも使われていて、中央バス大通ターミナルの近くの事務棟には旧マークがデカデカと掲げられている。また包装紙の本当に端のところにも小さく旧マークが印刷されている。たまにその事務棟から案内係の人が出入りするところを見るが、一条館や大通館とはちょっと距離があるため、その間さぞ恥ずかしい思いで歩いていたのだろう。
しかし昭和40年代の〝まるいさん〟といえば、囲みの⭕が心なしか細く見えたのもまた秀逸(新聞広告での話)
なお「クレジットのマルイ(OIOI)」も、旧マークは「井」の丸囲みという…
17時半閉店は、大晦日の特別営業だからでは?
いくら1979年でも、通常は19時半ぐらいまでは営業してたはず
80年代に18時まで延長になり80年代中盤に19時閉店となったはず
あまり遅くなると出納チームが帰れませんので19時閉店が長く続きました
wikiにはオリジナルのBGMって話が書いてますが、なんとなく元の曲がありそうな気もしますね。詳しい方に質問したいのですがイージーリスニング系の曲はどこで質問していいのか困ってる状態です。
まるい の屋上に飛行灯台があり 夜見上げると飛行灯台の光が家の上にも来ました 当時の住所 札幌市中央区 大通東10丁目 今は水道局の建物になってた
何年位前の事なのでしょうか?
昭和30年頃の記録映像で見たような気が。
HBC札幌本局版とSTV版の締めは、共に時計台の鐘(実際の札幌時計台の鐘とその名もズバリ「時計台の鐘」という曲)ですね。如何にも札幌らしさがある締めというか・・・
HBCラジオは、中継局ごとに違うベリカードを発行していたのですね。
あと、丸井今井の営業時間が1730というのは、早すぎる気がします。
昭和過ぎる❗
今のアナウンスで「〜くださいませ」みたいな言い方はしないと思う。
室蘭放送局を聞いていた苫小牧では、聞いたことがありませんでした。大切な録音です。
ご視聴ありがとうございます 昭和50年代はじめは室蘭丸井手帳も放送されていたはずです
私も苫小牧でしたが、聞いてましたよ。あー、でも札幌放送局を聞いてたかなぁ。苫小牧だと両方入りますからね。
昭和40年代だと・・・聞いた記憶自体があやふやなのかねしれません。10歳~14歳くらいのときは、ベスト10北海道が流行ってました。ちなみに苫小牧の糸井では、札幌よりも室蘭の方が聞きやすかったです。
正確には「まるい手帖」
一時期はHBCラジオ、STVラジオ、AIR-G'(エフエム北海道)の3局でそれぞれ別内容の同タイトル番組が同時刻に放送されていた。でもそれは道内資本時代の話だった。また局によっては内容が地域で異なったり、番組自体が差し替えられていた場合もあった。放送期間は局ごとで異なったが、3局で同じような番組がそれも同じ時刻に放送されていたということはそれだけ道内で「丸井さん」と呼ばれるぐらい愛されていたかがわかる。その後2回も破綻し、三越伊勢丹ホールディングス傘下で道外資本となり、札幌本店の近隣にある札幌三越と経営統合された今じゃ到底考えられない。というかこんな番組自体が皆無か?
小樽、室蘭、旭川、釧路…
道内の主要都市には決まって丸井さんがあったもんですが、いまは札幌と函館のみ… (´;ω;`)
そう、道産子は「丸井さん」ですよね。東京で丸井デパートを見て「丸井さん」って言ったら、友達から変な目で見られました笑。と言いながら、「丸井さん」は実は「今井デパート」ですよね笑。
私が育った苫小牧にもできたのに、数年で閉鎖してしまいました…涙。
@@forestomox
東京中野(本店)のマルイは月賦屋だからしゃーない。
(緑屋とかもそうだが、やはり「金融業」の匂いがイメージを下げていたのは否めない)
担当は安藤千鶴子アナウンサー、天気予報は菊池玲子(後に渡辺)アナウンサーですね。
安藤アナは90年代にはアナウンス部長になりましたね。その時の部下が松永氏やさとうのりゆき氏がいました
丸井のカードあったね
♪ぐっきりぐっきりぐきぐき
丸井今井があるのは札幌と函館だけ。
三越伊勢丹傘下。
まるいさん の屋上にダンボのメリーゴーランドみたいなやつ のって、大食堂でお子様ランチ なつかしいなー
丸井さんは日の丸ではなく丸井マークの旗と記憶してますが…
営業時間が短いですね。
大晦日で閉店時間を早めたのでは?
丸井が伊勢丹の支援を受け、その伊勢丹が三越と組む事で、札幌の大通公園エリアに於ける強力タッグが生まれた、と思います。
hatatomo
「丸井」は東京・神奈川・千葉・埼玉・静岡(後に福島・栃木・群馬から撤退した一方で京阪神と福岡・大分にも拡大)にネットワークを持っている企業で、地元では「0101」のマークでもお馴染みですが、札幌に「丸井今井」が存在したのは知らなかったでした。
CI導入以前のロゴマークは○の中に「井」が入ったものですが、「丸井今井」のものは○の中に「井」のマークに「今井」の文字が添えられており、当時から東京・中野の「丸井」とは区別されていました。
@@saskiyoshiaki 様実はその丸井のマークは最初は札幌の丸井今井が元祖です。だから東京の丸井は丸井マークを使いたいがゆえに丸井今井側に使用料を払っていたそうです
@@saskiyoshiaki 丸井(0101)は水戸や京都にもあったが撤退した。
丸井今井と丸井は全く関係ないそうです。丸井今井ほうが歴史が古い
まるい今井 三越札幌 も 伊勢丹ホールディングになってしまった、三越はジャイアンツ優勝セールなくなりました。
ご視聴ありがとうございます
私は大の巨人嫌いですので、丸井でファイターズとコンサドーレのセールが行われればそれで満足です www
道内で流れた、ラジオ限定のローカルCMが超懐かしい~❗
丸井今井も伊勢丹ホールディングになりました。三越も伊勢丹ホールディングになりました。
クレジットの丸井「昔は丸井今井より下に見られていたのに、世の中変わったなあ…」
ってか主さん、良く残してましたねぇ。
かつての北海道を知る上での貴重な資料ですよっ!これ!!
今では全く放送しなくなった【丸井手帳】まで!
しかも多分だけど、このコーナーが流れていたのって[ラジオファミリー ハイ!松永俊之です!]の中なのでは??
それって「ラジオファミリー」じゃないですか?
9時台が「フィーリング9」、10時台が「ハイ!松永俊之です」という組み合わせ(ちなみに当時は10時45分迄の放送、そこからTBSラジオ経由のラジオドラマ「ファミリーオペラ・しあわせ見つけた」(花王石鹸提供)を経て、道新ニュースから11時のテレフォン人生相談へと繋がっていきました)
(ちなみに当時を含め長らく平日の11時台は「ハコ番組」(土曜は今も含めワイド番組の枠内が長かったですが)の時間帯でした(今の「気分上昇ワイド・ナルミッツ!!!」でようやくワイド化されましたが))
@@hatatomo さん
あっ…………そうでした。
【ドライビング〘パートナー〙·STVホットライン】とごっちゃにしてました(汗)
1条館だねぇ。やっぱりマークは、◯に井じゃあないと、締まらない!
懐かしいですね。
90年代の「まるい手帖」も聴きたいですね。
どこかにないですかね?
ご視聴ありがとうございます
90年代のHBC9時台の録音は残念ながら私も持っていません
ただ、女性アナウンサーの口調は明らかに違っているはずですね 70年代は「時代を感じる」ような気がします
ありがとうございます。そうですね。曲調も口調も品格があって、「いかにも高級百貨店」という雰囲気がたまりません。まるいさんはMマークになってから、少し変わった気がします。
大晦日かぁ。小さかったからこの日もワクワクしておだってたな。だって元旦には母方の爺さんがウチに遊びに来てたんだよ。楽しかったな。それと、子供といえばクリスマスが近くなる頃にこれを聞くとワクワクが止まりませんでした!北海道の片田舎でしたから、札幌に行くことなんて無かったけどね。